常陸國の七つの名神大社は北斗七星〜破軍星を背に

名神大社を結んでできる図形について考えています。

■天武天皇と名神大社がつくる図形

 天武天皇の様々な政策の中で『複都制構想』が日本書紀に記されている。

 事実、藤原京の計画以外に『難波京』を置いたことが知られる。(天武12・683年)
 翌年には信濃の造都計画のため三野王と采女筑羅を視察の遣いとして派遣している。
 

 天武天皇崩御により、実現には至らなかったもののなぜ信濃なのかは謎なのである。(信濃造都計画・行宮は造営されたという)

 

 ところで、これまで投稿してきた神社を結んでできる図形に2つの亀甲がある。

 

 ひとつは難波宮付近を中心としてできる関西の亀甲。
 これを【大ヤマトの玄武】と勝手に命名する。

 

 もうひとつは、東国を覆う巨大な亀甲
鹿島-三嶋(元)-熱田-気多-度津-宇奈己呂別

 

 これを【東国の玄武】とする。

 

 この東国の亀甲…その中心は軽井沢付近となるのだ。つまり『信濃』なのである。

 

 亀甲は陰陽五行の調和~七曜文であり中心が都と考えると【難波宮】と【信濃】を陪都に据える意図が見えてくる。

 

 時を同じく天武12年頃、日本最古の貨幣【富本銭】がつくられた。

 

『富夲』の文字と共に亀甲の七曜紋が二つ描かれている。興味深い。

 

 書紀に天文遁甲をよくするとあり、これまた日本初の占星台をつくったといわれる天武天皇

 

 陰陽五行と古来の霊験あらたかな神々との調和で国家安寧と永遠を祈るため、現代では想像もできないような方術を敷いたのかもしれない。

 

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