常陸國の七つの名神大社は北斗七星〜破軍星を背に

名神大社を結んでできる図形について考えています。

■玄武と朱雀に守られて~名神大社が織りなす図形 2022.09.22

 孝徳朝より150年の皇都であった『難波宮』を中心に、経線を辺にもつ五芒星と、それを内包する六角形(亀甲)が名神大社および神宮を結ぶことで現れる。
【五芒星】は 若狭彦―熊野本宮を南北軸に、大麻比古、伊和、阿射加の五社
【六角形の亀甲】は 籠―中山―大麻比古―熊野本宮―神宮―南宮の六社
 
 ここで丹波亀山(亀岡市)の出雲大神宮丹波国一之宮で名神大社)に着目したい。

 出雲大神宮より六角形の各頂点に線分を引くと立体的な亀の甲羅に見えるのである。
 現在は亀岡市であるが、江戸以前は『亀山』であり、まさに字のごとくである。
 そして放射状に伸びるこの線は五芒星の頂点ともリンクしており、意図的なものを感じる。

 これまで過去に投稿してきた名神大社がつくる図形に関して
難波宮の『北』にある出雲大神宮は亀を神格化した北方の守護【玄武】甲羅の天頂
難波宮の『南』にある大鳥大社は日本列島を東国から九州を翼で覆う南の守護【朱雀】の中心
となっていることを考えればやはり陰陽五行思想に基づいているように思う。

そこで今回はこの五芒星と六角形が意味するところを陰陽五行思想の点から考察したい。

① まずこの五芒星だが、この傾きはやはり、南北軸(経線)を得るためだろう。
若狭彦神社が北  ⇒【水】:玄武・冬・黒
熊野本宮大社が南 ⇒【火】:朱雀・夏・赤
木火土金水の順に時計回りとして
阿射加神社は東  ⇒【木】:青龍・春・青
大麻比古神社は中央⇒【土】:黄龍または麒麟・土用・黄
中山神社は西   ⇒【金】:白虎・秋・白

 日本海側は浦島伝説など亀に関係する説話や出雲系の神紋亀甲など、南の熊野といえば朱雀ではないが、八咫烏や神武東征の金鵄など鳥に関する話しが思い浮かぶ。

② 次に六角形については、難波宮を中心とした七曜と考えてみる。
 木火土金水の五行に陰陽の陽儀【天・日】と陰儀【地・月】の七曜を両儀四象生成図に基づいてこの六角形に当てはめると、

神宮  ⇒陽儀【日】を基準とした場合、
中山神社⇒陰儀【月】
籠神社 ⇒【木】東方:青龍・春・青
南宮大社⇒【火】南方:朱雀・夏・赤
難波宮 ⇒【土】中央:黄龍または麒麟・土用・黄
熊野本宮⇒【金】西方:白虎・秋・白
大麻比古⇒【水】北方:玄武・冬・黒

 実際の方位とは合わなくなるが、たとえば熊野が西方極楽浄土になったり、南宮大社がなぜ南宮なのかとか、籠神社の籠には龍の字が入っていたり、龍宮伝説があったり、難波宮が【土】=黄色=皇帝の色など…なんとなく繋がりを感じなくもない。あくまでこれらは個人的な考えとしてだが。

 古代、七曜は重視されていたことは、キトラ古墳高松塚古墳の壁画はもとより。朝廷の儀式で使われた遺構や、最古の通貨『富本銭』の七曜紋のデザインからもわかる。
※2016年に発掘された藤原京大極殿院南門前の幢幡遺構では7本の幢幡の柱跡により
続日本紀の「天皇大極殿に御しまして朝を受けたまふ。その儀、正門に烏形の幢(はた)を樹つ。左は日像・青竜・朱雀の幡(はた)、右は月像・玄武・白虎の幡なり。蕃夷の使者、左右に陳列す。文物の儀、是に備れり。」大宝元年元日朝賀の儀式の様子を伝える内容が証明された。

 また六角形が亀甲で玄武を表すとすれば、相棒の【蛇】もいるのではないか?

 名神大社を結んだ線の内、平行となるラインに着目していくとトグロを巻いた蛇が浮かび上がってくる。大神神社が蛇の頭となったのは、割と意識したせいかもしれないが。

********************************************
 難波宮が中心付近にあることから、皇都であった150年間のいずれかの時期にこれら一連の霊験あらたかな神社の社殿造営事業計画がなされたのではないか?特に斉明~天智~天武・持統と道教陰陽道の影響著しい時代、国家安寧のために壮大な方術があってもおかしくないだろう。律令国家の集大成ともいうべき藤原京大宝律令の完成に合わせて。

 

f:id:starman1miya42:20220922225248j:image

f:id:starman1miya42:20220922225255j:image

f:id:starman1miya42:20220922225318j:image