常陸國の七つの名神大社は北斗七星〜破軍星を背に

名神大社を結んでできる図形について考えています。

諏訪大社は玄武と朱雀を融合する

▲日光男体山 ▲立山雄山 ▲富士山 この3点を結ぶと正三角形に近似する。 立山雄山-富士山ラインに男体山から垂線を下すと そこは『諏訪大社』だ。 その垂線は『大鳥大社』『剣山』へと連絡し 『大鳥大社』を中心とした朱雀の図を有力な神社が描く。 諏訪大社…

■『八百万神曼荼羅』【五色版】の作成(メモ)

《構想》 ■古事記をベースとし、日本書紀他に登場する神も含める ■神産み・国産み ■①イザナギ⇒禊⇒アマテラス ②イザナミ⇒死⇒(ワクムスビ)⇒トヨウケ 縦のライン上に配置 ■三貴子のラインと三女神・五男神(誓約) ■三種の神器 ■アマテラスの系譜と婚姻関係 ■…

■古事記をベースとした『八百万神曼荼羅』【青版】の作成(メモ)

・田の字で表し、天照大御神を中心にする ・田の字は9つの交点、12本のパス、4つのゾーンで構成、計25に区画 ・グリッドを10マス×3、25マス×2の一辺80マスに2マスの外縁をつける ・”田の字”は衣食住を象徴する形 【衣】経糸/緯糸 織物のイメージ 【食】田・…

八百万神曼荼羅【青版】

古事記をベースにした八百万神曼荼羅 青系でまとめる 田の字を強調 (下書き)

天武天皇の五行の構想

キトラ星図と藤原京を重ねてみる。 キトラ星図の内規に藤原宮の正方形が内接するように配置する。 キトラ星図と藤原京復元図を重ねる 斗宿から鬼宿の方向に流れる飛鳥川は『天の川』になぞらえる。 『周礼』で理想的な都城とされる配置で造られた藤原京は天…

天武天皇は日本にすごい結界を張ったのか?(分野説の実践)

古代中国の占星術に『分野説』がある。地上の国郡と天上の星座が対応するという考えだ。古代日本でも天を地上投影する試みがなされたのではないか? いつ?だれが?何のために? ヒントとなるのは精緻な星図としては世界最古といわれるキトラ古墳天文図や、…

列島神社星図

『ハブ』となる神社と10本の『スポーク』 列島に張り巡らされた神社のネットワーク図 星図と朱雀・玄武を地上に描くための基準線 さまざまなベクトルが収束していく神社筑紫国の『志賀海神社』が基準線の起点信濃国の『穂高神社』は東国の起点となるハブ神社…

神社が織りなす『列島星図』~地上投影された朱雀と玄武

彌彦神社ー宇奈己呂和気神社ー鹿島・香取ー三嶋神社(旧地か?)ー熱田神宮―気多大社の六社を結んでできる六角形=亀甲。 これをを甲羅と見立てると… 『能登半島』がキトラ古墳壁画の『玄武』の頭のように見える。 まるで天鳥船に乗って空から見て描いたかの…

列島星図

神社がつくる列島星図はキトラ古墳の造営時期と関係するだろうか?そして古墳の埋葬者とも関係するのか? 天文図(星官・二十八宿)そして四神・十二支を壁画に描くキトラ古墳。 南方の守護【朱雀】と北方の守護【玄武】を列島星図に重ねるように神社を配置…

神社配置の基準線

古代。天子は天からのメッセージに忠実に従う必要があった。 古代中国において常に注意深く天体を観測し政治を行っていた。 十二次や二十八宿を地上の国々に充てる『分野説』もその一つの形だったのかもしれない。(天の地上投影) さて、日本には驚くほどの…

■天の星々を地上に刻む

半径180kmの主要な円の中心となる名神大社。 ◎伊予神社 →南斗六星(いて座)◎熱田神宮 →オリオン座◎二荒山神社→北極星・北斗七星◎貫前神社 →ケフェウス座◎若狭彦神社→ぎょしゃ座 地上に投影した星座を構成する神社だ。 伊予の円の中心は星図上、黄道と白道の…

■半径180kmの円の10等分線

円を中心から放射状に10等分する線分。内角の比が1:2:2となる黄金三角形をつくる。 黄金三角形の点と点が結ばれてネットワークがつくられていく。故に五芒星、菱形、平行四辺形、長方形などさまざまな図形ができる。 黄金三角形の垂直二等分線が18°傾きがあ…

■神社配置の基準線と方位角108°聖なるライン

どうやら半径約180kmの円とそれをおおよそ10等分する円心からのベクトル上には名神大社や一之宮などの有力な古社が配置されているようだ。 ●鳥海山大物忌神社●貫前神社●若狭彦神社(若狭姫神社)●伊予神社●都農神社 それぞれがその円心となる5つの円…

■神社配置の基準線と方位角108°聖なるライン

どうやら約180kmの半径の円とおおよそ10等分する円心からのベクトル上には名神大社や一之宮などの有力な古社が配置されているようだ。 ●鳥海山大物忌神社●貫前神社●若狭彦神社(若狭姫神社)●伊予神社●都農神社 それぞれがその円心となる。 半径18…

■神社配置の基準線

名神大社を結んだ線分約180kmを半径とする3つの円。おおよそ10等分する中心点からのベクトル上にはだいたい神社がある。 平面上、頂角36°の二等辺三角形は黄金三角形。五角形・五芒星をつくる。 東国の円の中にできる3つの五角形と1つの黄金三角…

■東国の名神大社がつくる図形をモデル化する作業(作図編)

名神大社プロット図から読みとった神社配置・構成から配置の意図を単純モデル化して作図できないか? 地図に現れる大きな六角形と五芒星がつくれそうな二等辺三角形。神社がたくさん並ぶライン。なんらかの規則性があるのではないか?ひとまず自分なりに作図…

■北天に玄武を重ねる作図方法

東国は夏至の午前0時の北天を表す。天の星々が地上投影されし名神大社。玄武は北の守り。北天に玄武重ねし。 富士・立山・日光男体山の三座の峰。結びし距離等しく、不動の正三角形。これを基としできる亀甲は玄武の亀。 この正三角形の一辺の傾きに等しき…

■東国名神大社研究

夏至午前0時北天。相模国一之宮寒川神社は織女星(こと座のベガ)。相模川は天の川。この時、織女星は天頂にあり。 織女星。神の社の経糸・横糸。綾織り~黄金三角形。ジグザグの蛇と亀甲。玄武は北の守りなり。 北天に玄武を重ねし。 王良(カシオペヤ座)…

■神社のつくる大きな鳥の図形

名神大社や一之宮を結んでできる図形のうち、大鳥の図(朱雀か?)を三角形に分解する作業。 東西・線対称となり、それぞれ対応する神社が明確になる。 中心は和泉国一之宮大鳥大社だと思う。 軸は籠神社−熊野本宮大社ラインで、2つの六角形(亀甲)がつく…

神社の魚図

神社を結んでできる列島外郭図はなんとなく魚形おおよそで二等辺三角形に分解その重心を繋ぐなんだか新幹線の路線図みたいだ

■セフィロトの樹と大刀契

セフィロトの樹が日本に伝わっていたかどうかはわからない。 けれども名神大社や地域の一之宮を結んでできる図形がなんとなくセフィロトの樹のように見えてしまう。 東日本の大セフィロトの樹は薩摩国一之宮枚聞神社に収束する。西日本の大セフィロトの樹は…

【番外】酒船石と生命の樹

『飛鳥の酒船石』 なんとなくセフィロトの樹っぽいので 名神大社プロット図に重ねてみた オオクニヌシの出雲が【王国】を意味する【マルクト】 オオモノヌシの大和は隠れたセフィラ【ダアト】 アマテラスの伊勢は【王冠】を意味する【ケテル】 (※大嘗祭で使…

【番外】『申』とセフィロトの樹

名神大社プロット図から『セフィロトの樹』を探していると、だんだん『申』という漢字に見えてきた。 そこで『申』の漢字の成り立ちを調べたら、象形文字で『稲妻』を象っているのだとか。 セフィロトを順に結ぶと稲妻のようだ。

【番外】天武と生命の樹

古代日本に神秘思想"カバラ"が伝わっていたのかはわからない。 けれども、名神大社を結んだ図形がどうも『セフィロトの樹』に見えてしまう。 関東のセフィロトの樹のダアト【=隠れたセフィラ】にはスサノオを祀る氷川神社がくる。 ダアトの象徴する惑星は冥…

■天武の地上絵

『天武天皇十年 正月己丑条 詔畿内及諸国、修理天杜地杜神宮。』 これは天武朝の神社社殿の“造営”に関する詔の記録である。 “天社・国社”については同じく日本書紀・崇神朝の条にも 『崇神七年…天社・国社、及び神地・神戸を定めたまふ、是に於て疫病始めて…

■天武の方位盤

『壮に及りて雄祓しく神武し。天文・遁甲に能し』 天武天皇はプリミティブな陰陽五行の実践者だ。本家も驚く純度の高い陰陽五行の理を日本古来の連綿と続いていた信仰と融合させ、時に神仙の術を使い、星辰の意を聞き調和を図った。 そして伊勢の神宮を頂点…

■天武の方位盤

古事記序文によれば天武天皇について 乾符を握りで六合を総べ 天統を得て八荒を包ねたまふ。 ニつの気の正しきに乗り 五つの行の序を斉へ 神しき理を設けて俗に奨め、英れたる風を敷きて国に弘めたまふ まさに陰陽五行を整えて国政にあたったことが記されて…

■天武天皇と藤原京の七曜~万葉集・藤原宮御井歌から

天武天皇は陰陽五行の調和のシンボルとして亀甲=七曜文にこだわったのではないか? とすれば、当然日本最古の都城『藤原京』にもその方術はあるのではないか? そして大和三山が『三合の理』なのではないか? 都の北に耳成山。まさに三合の理【水局】の構成…

■星座の地上投影〜名神大社

天武天皇は陰陽五行の理と天の星官・四神二十八宿を地上投影するため官社を定めていったのではないか? 『図形を構成する神社』は後の名神大社の前身となったのではないか? キトラ古墳に描かれている四神・十二支像や天井の天文図・日像・月像 これらが表す…

■天武天皇と名神大社がつくる図形

天武天皇の様々な政策の中で『複都制構想』が日本書紀に記されている。 事実、藤原京の計画以外に『難波京』を置いたことが知られる。(天武12・683年) 翌年には信濃の造都計画のため三野王と采女筑羅を視察の遣いとして派遣している。 天武天皇の崩御によ…