常陸國の七つの名神大社は北斗七星〜破軍星を背に

名神大社を結んでできる図形について考えています。

■天武の地上絵

 『天武天皇十年 正月己丑条 詔畿内及諸国、修理天杜地杜神宮。』
 これは天武朝の神社社殿の“造営”に関する詔の記録である。

 “天社・国社”については同じく日本書紀崇神朝の条にも


崇神七年…天社・国社、及び神地・神戸を定めたまふ、是に於て疫病始めて息み、国内漸に謐り、五穀既く成りて、百姓饒ひぬ』


とあり、古来より国の管理によるいわゆる“官社”や祭祀の元始について書かれており、天武・持統期との共通性が認められるところである。

 

 陰陽五行のプリミティブな実践者である天武天皇天津神国津神それぞれの官社の社殿の造営においても、その方術を巧みに使ったのではないだろうか?

 

 陰陽の象徴としての【朱雀】と【玄武】、そして五行の巡り、天の星官・星宿が地上に投影された。

 

 天文と地理の対応は古代中国の分野説でも見られるところであるが、神社を不動の点とし地上絵を編み出したところに天武天皇の独創性が現れていると考える。

 

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